あしたは・・・ [middle]
・・・ロック(6月9日)の日です
↓忌野清志郎のIMAGINE
♪ 天国は無い ただ空があるだけ ♪
♪ 国境も無い ただ地球があるだけ ♪
♪ みんながそう思えば 簡単なことさ・・・♪
(IMAGINE/ 忌野清志郎 訳詞より)
世界中で
日々色んなことが起きていて
それが理解し難いことだったり
想像すらできない事だって
あるかもしれないけれど
ほんの少し
みんなが ” そう思えば・・・ ”
変えられることがある、と、思いたい
ヴィクトール・フランクルは
オーストリアで活躍した
精神科医で心理学者でした
彼は若いころに
フロイトやアドラーとの
交流があり
彼らの精神分析学や心理学を経て
フランクル独自の ”ロゴ・セラピー ” という
心理学が誕生しました
” ロゴ・セラピー ”を
大雑把に紹介すると
人は自分自身の為だけではなく
何かほかのもの・・・他者や世界の為に
”意味 ” を見出して生きようとするものだ
と、いう考えに基いています
この ” ロゴ・セラピー ” で
大事なことかもしれない、と、わたしなりに感じるのは
この思想(?)みたいなものは
” 宗教的な背景に関係なく精神性を求めることができる ”
と、いうことです
ヴィクトール・フランクルの著作は
ドイツ語で記されていますが
ドイツ語の
”心、精神、魂、精神的な、”と、いう単語には
宗教的な意味合いの無い単語があるのだそうです
彼はそれらの言葉を使って
ロゴ・セラピーについて語っているので
(宗教的な意味合いを持たせたい時は
それに当たる単語を添え、区別して表現されています)
宗教的な人間も、そうでない人間も
同じように
彼の考えを理解することができる、と、いうものなのです
フランクルは
ユダヤ人でユダヤ教信者でした
しかし
彼は若いころにはすでに
” ロゴ・セラピー ”的な考えを持っていました
彼自身の考えが
確信になり決定的になったのは
ヒトラーによる
強制収容所での過酷な体験でした
彼が収容所で体験したことは
人間は想像を絶する
残酷なことを行なう事もできるけれど
そんな集団(強制収容所を管理する人間たち)の
中にあって
人間の良心を失わなかった者もいたし
明日の生死をも知れぬ集団(強制収容所に収容された人間たち)の
中にあって
自分の身の保身の為に
仲間を貶める者もいれば
最期まで人間らしい良心を失わずに
仲間のことを思いやることができた人間もいた・・・
と、いう様ざまな人間を
自身も過酷な状況下にいながら
目の当たりにしたことでした
極限状態で良心を失わなかった者は
少数派だったかもしれないけれど
フランクルは、それでも
人間にはそんな可能性がある、と、いうことに着目して
それこそが
人間のあるべき姿なのだ、としています
フランクルの ” ロゴ・セラピー ” を
正しく理解するには自分にはまだ
力不足な部分もあるけれど
世界中を見渡すとき
なんだかんだいっても日本はまだ
” 恵まれている国 ” なのだ、と、思う
ロックの日には
清志郎のIMAGIINEを・・・
♪ ~みんながそう思えば 簡単なこと~ ♪ と
口ずさもうと思います☆
今夜は
春野菜と鶏肉いため (UPは次回デスー)
↓忌野清志郎のIMAGINE
♪ 天国は無い ただ空があるだけ ♪
♪ 国境も無い ただ地球があるだけ ♪
♪ みんながそう思えば 簡単なことさ・・・♪
(IMAGINE/ 忌野清志郎 訳詞より)
世界中で
日々色んなことが起きていて
それが理解し難いことだったり
想像すらできない事だって
あるかもしれないけれど
ほんの少し
みんなが ” そう思えば・・・ ”
変えられることがある、と、思いたい
ヴィクトール・フランクルは
オーストリアで活躍した
精神科医で心理学者でした
彼は若いころに
フロイトやアドラーとの
交流があり
彼らの精神分析学や心理学を経て
フランクル独自の ”ロゴ・セラピー ” という
心理学が誕生しました
” ロゴ・セラピー ”を
大雑把に紹介すると
人は自分自身の為だけではなく
何かほかのもの・・・他者や世界の為に
”意味 ” を見出して生きようとするものだ
と、いう考えに基いています
この ” ロゴ・セラピー ” で
大事なことかもしれない、と、わたしなりに感じるのは
この思想(?)みたいなものは
” 宗教的な背景に関係なく精神性を求めることができる ”
と、いうことです
ヴィクトール・フランクルの著作は
ドイツ語で記されていますが
ドイツ語の
”心、精神、魂、精神的な、”と、いう単語には
宗教的な意味合いの無い単語があるのだそうです
彼はそれらの言葉を使って
ロゴ・セラピーについて語っているので
(宗教的な意味合いを持たせたい時は
それに当たる単語を添え、区別して表現されています)
宗教的な人間も、そうでない人間も
同じように
彼の考えを理解することができる、と、いうものなのです
フランクルは
ユダヤ人でユダヤ教信者でした
しかし
彼は若いころにはすでに
” ロゴ・セラピー ”的な考えを持っていました
彼自身の考えが
確信になり決定的になったのは
ヒトラーによる
強制収容所での過酷な体験でした
彼が収容所で体験したことは
人間は想像を絶する
残酷なことを行なう事もできるけれど
そんな集団(強制収容所を管理する人間たち)の
中にあって
人間の良心を失わなかった者もいたし
明日の生死をも知れぬ集団(強制収容所に収容された人間たち)の
中にあって
自分の身の保身の為に
仲間を貶める者もいれば
最期まで人間らしい良心を失わずに
仲間のことを思いやることができた人間もいた・・・
と、いう様ざまな人間を
自身も過酷な状況下にいながら
目の当たりにしたことでした
極限状態で良心を失わなかった者は
少数派だったかもしれないけれど
フランクルは、それでも
人間にはそんな可能性がある、と、いうことに着目して
それこそが
人間のあるべき姿なのだ、としています
フランクルの ” ロゴ・セラピー ” を
正しく理解するには自分にはまだ
力不足な部分もあるけれど
世界中を見渡すとき
なんだかんだいっても日本はまだ
” 恵まれている国 ” なのだ、と、思う
ロックの日には
清志郎のIMAGIINEを・・・
♪ ~みんながそう思えば 簡単なこと~ ♪ と
口ずさもうと思います☆
今夜は
春野菜と鶏肉いため (UPは次回デスー)
BRUCE06さま
ご訪問&nice!をいただき
ありがとうございます!
by PANDA (2009-06-10 23:50)
>極限状態で良心を失わなかった
自分には想像もつかない厳しい状況下の話ですが、考えさせられる場面です。
by me (2009-06-14 00:13)
meさま
ご来訪&nice!をいただき
いつもありがとうございます!
フランクルの著書は読めば感銘は受けるものの
実践できるかどうか、が大きな課題です。
ほんの少しでも、と、思いながら
日々過ごしてはいるのですが・・・
by PANDA (2009-06-15 00:49)